No.03 渡米の準備
第三弾は、初めてアメリカの試合に挑戦する時の 準備段階を記しておこうと思います、30年程以前になりますが、何らかの参考になると思います。
1994年が始まり 早速本場アメリカの試合に挑戦する準備に入りました。
アメリカのファスト・ドローは1980年代までは オープン・スタイル(ほとんどの方がツイスト・ドロー)が主流でしたが、1990年代に入り トラディッショナル・スタイルが主流となっており、まずはそのRig(ホルスター)作りになります。
この頃インターネットなどは身近にありませんでしたが、すでにWFDAの会員にはなっていた為、二ケ月に一度 アメリカから送ってくる「Top
Gun誌」と 当時数少ない「ビデオ」でトラディッショナル・スタイルの射ち方は十分に研究していました。
撃発方法はラム・ファニング(ram
fanning)かスラップ・コッキング(slap
cocking)が一般的でしたので、私は遠距離のワックスでも有効なスラップ・コック・ショットに決めていました。
少し余談ですが、ビデオの中のCal Eilrich(カル・アイルリッチ)は当時から非常に理にかなった 美しいスラップ・コック・ショットを見せています。
さて、Rig作りですが この時点では まだ革細工はCZ75(オートマチック)競技用とサミングRig、ウォーキング用ツイストRig、だけしか作っていませんでしたが、射ち方が決まっていた為、Rigの設計(構造やデザイン)の方向性はしっかりと決まっていました。
ベルト部分はビリー島田氏のRigを参考にし、ブーツ部分(銃が入る部分)はWFDAのルールブックを理解しながら作り上げ、シャンク部分(ベルトとブーツをつなぐ部分)はスラップ・コッキングに最適な銃の位置を探りながらであった為と その位置を保持する構造が必要であった為、特に労力を掛けています。
この最初の一本は 後に「Colt
Yamada Fast Draw
Rig」(http://coltyamada.seesaa.net/)で販売されるRigのプロトタイプとなります。(商品としてのRigの製作・販売に関しては回を改めて書き出そうと思います。)
渡米にあたっての英語の方ですが、幸い知人の知り合いに 英語に精通し 一人で米国内を旅した方がおられたので紹介してもらうと 同じ高校の先輩でした。
早速 師匠(先輩)の自宅に通わせてもらい 先ずはWFDAルールブックの翻訳です、この時にルールブックの全貌を初めて知る事となります。
ルールブックの感想としては「良くできている。」
以前「日本ライフル射撃協会」のルールブックを読んだ事はありますが、より分かりやすく具体的で、起こりうるトラブルに対する対処が書かれており、長年にわたる試行錯誤により淘汰(とうた)されている事を感じます。
例えば Rigの設計にあたり より早く抜ける構造を考えていると しっかりルールで制約されているという事が何度かありました。
ただ、ルールブックのイラスト(挿絵)はあまり良くありません、手書きで書かれているのは構いませんが 誤解を招くような作図がまかり通っています。(ダブルバルーンのイラスト)
後は当時の「地球の歩き方」を使っての英語のレッスンと、何よりも「フリーズ」や「ダック」など危険な場面に遭遇した時の対処法などをより深く教わりました。
アメリカではレンタカーを借りる予定でしたので、国際免許証を用意して行きましたが、これがシューティング・レンジなどでの身分証明書代わりになり役立ちます。
肝心の試合ですが、せっかくならば 大きな大会に出ようと思い、6月18・19日にネヴァダ州(Nevada)のラブロック(Lovelock)で行われる「1994 WORLD FAST DRAW CHAMPIONSHIP」に決め、この年からチェアマン(Chairman)になった カル・アイルリッチ(Cal Eilrich)に連絡を取りました。
Word Fast Draw Ass'n Area22-Vice Chairman
Hidenori Colt Yamada
No.02 初めての優勝
第二弾は「初めてのアメリカ訪問」にも繋がる1993年に福岡で行われた ”1993 All Japan Championshep” から書き出そうと思います。
今からちょうど30年前になりますが、この時期 関西のビリー島田氏(前WFDA Area-22 Vice Chairman)の”All Japan Fast Draw Ass'n”主催で 毎年All Japan の試合を開催しており 会場は関西や九州、時には広島と変化していますが 西日本だけでの開催となっていました。
この頃はオープン・スタイルのツイスト・ドローが主流で 今よりも火薬量が多い銃を使ってバルーンを割っていました。(現在のWFDA-Jの試合では火薬の量に規定があります。)
確か この時の試合ではバルーンが割れることでタイムが止まるタイマーが必要だった為 現在ユーチューバーで有名な「マック堺」こと堺達也氏に依頼したタイマーを使用した覚えがあります。
当時 堺氏は熊本の大学に通っており 時々シューティングの練習を私も一緒にやっていましたが彼に対して驚いた事は その練習量です。
彼は黙々と射ち方を研究し 常に練習しており 彼のシューティングに対する情熱は目を見張るものがあり 私にはまるで 這いながら、でもニコニコと嬉しそうに、山を登っているように見えました。
後に 2004年のUSAスティールチャレンジで優勝した事を聞いても あまり不思議には感じなかった事を覚えています。
さて、バルーンを割る事でタイムがだせる為 種目はシングルバルーンとダブルバルーンの二種目で競い合っており 現在の種目の前身となっています。
私は1982年に やはり福岡で行われた”1982 All Japan Championship” で総合2位とはなりましたが そこからずっと2位止まりで なかなか優勝できない日々が10年近く続いていました。
その頃の優勝者は北九州の森本哲夫氏で一度も抜く事ができない強力なシューターでした。
しかしこの10年間の時期に「タイムを縮める事」と「試合で常時のタイムを出す事」への研究が進んだ気がします。
最初に取り組んだのは学生時代の射撃部の時によく聞いていた「メンタル・マネージメント」です。
当時は「イメージトレーニング ?」「そんなもので結果が変わるわけが無いじゃないか。」と練習熱心な私にとっては否定的で軽い見方をしていましたが、真剣に取り組んでみると「メンタル・マネージメント」が謳っている事は「普段の練習・反復練習は当たり前、その上でイメージも良くないと勝てないよ、勝てる見込みは無いよ。」とゆう事でした。
主に参考にした書籍は、ラニー・バッシャムの「メンタル・マネージメント」、東京 神田の「兵林館」の藤井優氏が翻訳されたもので、現在も売っていると思います。
但し、魔法の本では無いので、読んだだけで結果が変わるものでは無く、自分の今までの練習や試合経験 その時の「気持ち」の状態 何を「意識」して 何を「何となく気にしていたか」など、思い返しながら読むと多くのヒントが書かれていると思います。
「練習の時は良いタイムで上手く撃てるのだが、試合になると上手く撃てない。」という 多くのシューターが悩む問題を解決する糸口になるかもしれません。
そしてその効果もあってか1993年のこの年、やっと”All Japan”で優勝する事ができました。
又、この年に念願の建築士の免許も取れた為 本場アメリカの試合に挑戦する事を具体的に考えだした年の暮れとなりました。
World Fast Draw Ass`n Area22-Vice Chairman Hidenori Colt Yamada
No.01 Fast Draw の魅力
いざ 「独り言」を書こうと思うと 何から書き出そうかと迷いましたが 先ずはファスト・ドローを何故40数年もやり続けてきたかについて その大きな魅力の一つを冒頭に書いておこうと思います。
(尚以前「熊本乗馬クラブAWRC」の会報誌Vol,6と重複する点があります。)
ファスト・ドローはハリウッド映画によって影響をうけた人の「遊び」から始まっている為、競技性は高いのですがスポーツとしての「教本」と言うものがありません。
「これが基本だ」とか「こういう練習をすれば早くなる」などといった明文化された「教本」というものが無いのです。
ですから私がファスト・ドローを始めたころは、すべては見よう見まね、うまいと言われている人の射ち方をジッと見ては自分でやってみるという方法を繰り返す事しかできませんでした。
今でこそ、うまい人の射っているところをビデオに撮ってスロー再生で動きを研究するという事ができますが、40数年前は今ほど手軽にビデオを撮るという事もできず、有名な外国人シューターの写真が一枚でもあれば 穴があくほど見続け、連続写真などがあった日には透明方眼紙をあてながら腰の動き、腕の角度、手首の角度など、その外的姿勢から内的な姿勢まで読みとろうとしたものでした。
そうこうしている内に私もやっと米国へ渡り本場の大会に出る事ができるようになりました。
その時にも思ったものです、本場米国には「何か」あるのではないか「これがファスト・ドローの基本だ」と言えるような「教本」なり、「何か」があるのではないかと。
しかし、実際に米国に渡ってみると、そのようなものは何もなく、米国のシューター達もみんな「自分なりの射ち方」で射っているだけでした。
この渡米の時期を今ふりかえると「ファスト・ドローの基本」という「教本」をさがして米国に渡り、やっとその「教本」を探しあてて日本に持ち帰り 日本で開いてみると、そこに書かれていた事は一言「すべては自分で見出しなさい。」といったようなものです。
しかし、それこそが私が一番ファスト・ドローという競技に対して望んできたものなのです。
最初から基本などというものを与えられるのではなく、ああでもない、こうでもない、と試行錯誤をくり返す、その過程そのものを楽しんできたような気がします。
そしてそれが、ファスト・ドローという、まだあまり確立されていない競技の魅力になっていると確信しています。
World Fast Draw Ass`n Area22-Vice Chairman
Hidenori Colt Yamada
COLT 山田さんご挨拶
長崎 Fast Draw Team "Wild Bill"の皆さん、ホームページの開設 おめでとうございます。
開設に当たり、私のコーナーを作りましょうかという御話を頂き、喜んで御受けしました。
型式はハートフォードの Conety加藤氏に準じ「独り言」という事で、
出来れば以前の「All Japan Fast Draw Association」の頃からも交えて写真入りで多くを紹介していこうと思っています。
よろしくお願いします。
Hidenori Colt Yamada
COLT山田氏プロフィール
山田秀典
○ 1957年 3月17日生まれ 熊本県熊本市在住
○ ファストドロウを12歳からはじめる。
○ WFDA World Fast Draw Association Area22-Vice Chairman (米国の ファストドロウアソシエーションの日本支部・支部長。)
○ 所属クラブ All Japan Fast Draw Association
○ 勤務先 三菱電気
○ All Japan Fast Draw championship (日本全国大会)にて1993年,1997 年、1998年、2001年、優勝
○ All around championship in Nevada (米国ネバダ州大会)にて1994年 15位、1998年 13位、入賞
ご本人からのプロフィールメッセージ
「日本全国のシューターの皆様、本場の米国大会に挑戦しましょう。」